素敵な人 その2
「理想の最期は、とある国に井戸を掘り、その井戸の水を美味しそうに子供たちが飲んでいるのを見ながら息絶えること」と語る人。
真顔で公然と語られてしまうと、もうヘタにコメントさせてもらうような状況ではありません。
ただ頷くばかりです。
こんな人を上司にできるかもしれないウチの会社、まだまだ捨てたモンじゃありません![]()
「理想の最期は、とある国に井戸を掘り、その井戸の水を美味しそうに子供たちが飲んでいるのを見ながら息絶えること」と語る人。
真顔で公然と語られてしまうと、もうヘタにコメントさせてもらうような状況ではありません。
ただ頷くばかりです。
こんな人を上司にできるかもしれないウチの会社、まだまだ捨てたモンじゃありません![]()
随分と間を空けてしまいました。
体調的にはなんら問題なく、平々凡々と過ごしていました。
毎日お客様先への直行、直帰が当たり前になってはや半年。
そんな日常を積み重ねて、とうとう3年が過ぎました。
そしてここで迎える四度目の春。
この四度目の春と一緒に、一つの区切りをつけなくてはなりません。
もう一度、
何かを得るために、何かを捨てて身軽になる
そんな作業が必要になると思います。
私の死を最も悲しみ
私の存在が無くなる時を最も惜しむ者、
それは私
誰一人として避けて来られた者はいないと知りつつも
去ったその向こう岸から 大丈夫だ、ここにいるから と
声を掛けてくれた者もいない という 紛れもない事実
そんな当たり前をふと考える いてもたっても居られなくなる
この世に存在しなくなることの怖さ
正直なところ、年上の部下と仕事することはあれど、
年下の上司と仕事することは(自分に限っては)ないだろうと思っていました。
もちろん確たる理由があったのではなく、漠然としたものだったのですが。
普通に大学を卒業して、普通に就職して、普通に仕事をする。特別覚えめでたき功績があるわけではないけれど、その反面不出来なわけでもない。
だから、順当に昇給して、昇格していくのだろうと思い込んでいました。
もちろん今も(自分の意思で大阪を飛び出したにせよ)、その流れに乗っていると信じています。
でも、そうではないのかもしれません。
相対的にか絶対的にかは判りませんが、「そんなに出来ていない」自分がここにいます。
もといたレールから異なるレールに移っても、いや移れたことの理由こそが、「わりと出来ている」自分だったと思っていたのに、です。
「おかしいな」と感じても、「キャッチアップしなくちゃ」と焦っても、ここで頑張ろうと決意を固めつつあったころ、吸い込むことでピンとできていた、そんな空気の所在を感じられなくなっています。
もちろん上司のことは、立派な仕事人だと認めています。指示されることに違和感を感じたり、納得がいかないことはありません。
けれど、「俺のほうがもっと上手くできる」とか「まだまだ青いナ」とか、口には出さなくとも、そういうプライドは(自分自身の成長のために)必要なものだと判ってはいるのですが、それが頑張りにつながらない。
人は一度そう感じてしまうと最後、逆転を受け入れることで変わってしまうのでしょうか。
新たな試みを始めます。
帰りの電車で一所懸命にメールしている人の宛先をよく見ると、「モブログ」。
どうやら下書きを幾つも書き留めている模様。
きっと、満足のいく出来になった段階でメール送信して「記事」にするのでしょう。
これに少し刺激を受けました。
「下書き保存すればいいんだ」
私もいくつかのジャンルを並行で書き始めます。
完成しだい、「投稿」。
どうぞお楽しみに。