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仕事 / Enterprise

Tuesday, November 03, 2015

十年の孤独

ほぼ一年、二歳下の上司の下で五十路前の手習いに勤しんだ。本人としてはかなり、相当に、がむしゃらに過ごしてきた。当の上司や周囲にはそれほどに映らないかもしれないが憔悴し視野狭窄に陥ることも何度かあった。
その上司と、今回で二度目の半期フィードバックを終えた。プロジェクト個々の山谷はあっても、基本スタンスは何も変わらない。自分の気持ちはこのブログにも以前書いたものとさして変化なし。
「なぜできないか?」という問いかけは不変。でも質問の本質は「射されるとイヤな部分」をしっかりと突いてくる。成長して(できて)いないことが容認されなくなってきているから。
これまでに少しずつ立場を変えながらも「コンサルタント」を標榜して23年という、上司の振る舞い。もはや一種の円熟味すら感じさせる。いち部署を預かる職掌まであと一歩、しかしそれが彼のキャリア地図にひとかたのマイルストーンとして設置されているとは思わなくもない。
一見すると必ずしもポジティブとはいえない自身のマインドセットや行動パターンのもたらす負の要素、さらにはそれが自分のみならずチームや組織全体へ伝播することによる悪影響たるものを熟知し、それを誘発しないような配慮。時に粗暴な表現や攻撃的な態度を用いることはあっても、ブリンシプルにブレがないから種々の魅力として受け止められる傾向が勝る。こちらとしては、見習うべきところこそ無数にあれどあげへつらう点などどこにもない。
しかし、それが判ることは返って辛くなる。
自身が歳をとった…成長した…からか、批判や不満は相手や仕組みに向けて放たれるのではなく、そんな成長できない自分に向けて襲いかかる。それゆえ、尊敬すべき同僚や合理性が担保された制度・プロセスが自らの誇りであり宝物である反面、その環境に安住しようとしその振る舞いに羨望するだけの自分と比較し、そのちっぽけさに押し潰されそうになることも少なくない。
かなりギリギリな状況。なんとなく「やれたらいいな」なんて職域はどこにも存在しない。悩みぬくことに喜びや次なるステップへの準備としての大切さを感じ取れなければ…

Sunday, March 30, 2014

働くことの意味 -2nd decade -

〜昨日はグンと開花が進みましたね〜

◼︎労組結成
いわゆる一種のマイグレーションプロジェクトを通じて疲れ気味だった私のもとに、ある日人事担当課長から声が掛かりました。入社以来気心の知れた人ではありましたが、恐るおそる訪れると「ウチの会社に組合作るから。労使共同で準備委員会を立ち上げる。委員長以下8名ほどの精鋭や。組合側からも何名か人選してくるんで、会社側からの人選としてお前…やってくれへんか?」という話。当時は「グループ会社自主自立、一社一労使」をスローガンに掲げた組合結成ムーブメントの最中。二つ返事でした。面白そう。労働組合という組織や活動には特段いいイメージ持ってなかったのですが、イメージしか持っていないことと「自分たちで作るんならイメージも変えれるやん!」みたいなノリが勝りました。組合籍を親会社の組合から自前の労働組合に変更するための意識作りからルールである規約・規程の作成、果ては職場ミーティング報告のWeb掲載…やらなかったのはレクリェーション企画ぐらいでしょうか、スポーツあまり得意でなかったので。
2001年まるまるをかけた準備期間を経て、その年度末に、自前の労組は結成されました。職責も準備委員から組合役員へ。労働基準法や関連法規そのものを紐解くことはありませんでしたが、従業員の権利はもちろん、会社には従業員を守る義務があり、その恩恵を受けるには従業員にも義務があるなど、実務として色んなケースを見てきました。訪中してオフショア開発の実情を肌で感じることができたのもその一環です。
総じて2004年8月までの3年半弱、私にとって働くこととは「働くことについて考える」ことでした。長時間労働、原価率維持のためのサービス残業の横行、メンタルヘルス、セクハラパワハラ、等々…職場の問題は何でもアリでしたよ〜。
組合役員との掛け持ちを続けることで、自ら新たなチャレンジへの芽を摘んでしまうのではないかと思い至り、一期2年(プラスアルファ)の任期で執行委員会から離脱、普通の組合員に戻りました(笑)。

◼︎管理部門
労組結成準備委員の時はまだパッケージ開発のSEでした。結成準備活動が面白く、それはもう、のめり込みました。ピークを超えていたとはいえ開発作業が疎かになっているのを見かねた上司が、労組結成を機に総務部への異動を打診してくれたのです。期が変わると同時に総務へ。SEから営業を経て総務に辿り着いた課長以下、一回り弱ほど年上のリーダー、10歳ほど若い後輩(総務では大先輩)でオフィス回りのファシリティ類を管理していました。
当初は組合役員との掛け持ちのため、経営数字や人事に関する業務には携わることができませんでしたが、会社として必要なインフラストラクチャ(コーポレート基盤)を担うスタッフの存在意義を実感する機会に恵まれた期間でした。
「(私を含めた)4人って、最高のチーム作りができるメンバーの集まりやな」とみんなで盛り上がったことを今でも思い出すことがあります。最高のチームとは、4つの属性が相互に作用することでベストパフォーマンスを発揮できるというものでした。コントローラー、プロモーター、アナリスト、サポーター。あなたには私がどの属性なのかすぐ分かるでしょうか。毎日の業務はビッグプロジェクトでもなんでもない、ただの座席移動やフロアレイアウト変更ばかりでしたが、この4人だからこそスムーズにやれるんだという自負がありました。
組合役員離任と時を同じくして、組合で培ったWeb関連(サーバーセットアップに始まりWebサーバーアプリ、オープンソースCMS導入、コンテンツ作成やそのための写真撮影もろもろ)のスキルを買われ広報業務に携わることになりました。その直後着任した新社長の「広報宣伝活動を本格化させるべし」という狙いと合致したため、経営企画部門へこれらの業務ごと異動。新社長のメッセージをイントラネットに掲載した日、これまでやってきたことが、目の前に為すべきこととして一つに結実したのだと感じました。まるで昨日のように思い出せます。

◼︎そのキャリアは誰のために
活動強化とはいえ担当は私一人。イントラウェブサイト(全社ポータルサイト、社長メッセージサイト)、社外公開ウェブサイトの維持運営を一手に担いつつ、現場で働くSEの活躍を社内でも社外へもアピールするにはどうすればよいかを模索する毎日。まさに孤軍奮闘。広報宣伝をテーマに教育を受けたり資格試験にも挑戦しました。実務経験が少ないのをどう補うか、雑誌や新聞などのメディアにどう働きかけるか、記者や出版社との接点をどう増やせばいいか。幸いにも親会社や立場を同じくするグループ内他社に先輩や仲間はたくさんいましたから、少しずつ交流範囲が広がる度に手応えが感じられてきました。そうして、ひとつのコミュニティが出来上がりそうになったとき、私の中で新たな目標が形になりだしました。
「ここまでくれば、この業務は誰かが回してくれる。それをただ回すだけなら、ここに私のいる意味はない」「ICT企業だけど、いやだからこそ、人が資本であり商品なのだ。商品を売り込むのも面白いけれど、自分も商品になってみたい!」そうなると、いても立ってもいられなくなりました。引き継ぐべき後任も決まってないのに、気もそぞろです。
そんなときにふと目に留まった「管理部門経験者募集」の社内募集案内。応募、そして面接。採用通知。…こうして2006年の春、東京に活動のフィールドを移しました。自分が商品として値するかどうか、誰かがそれを取り上げてくれることが実現できるかどうか、それを試すための壮大な実験が始まったのです。

これまでの経験で私なりに解ったことは、「何をどうすれば、どれくらいの成果につながるか」「あの目的達成のために、それを目標にし、このアクティビティを日々回す」というようなフレームワークだけで毎日を過ごすことはできないということです。中身がなければまさに「絵に描いた餅」でしかないのです。その肝心の中身ですが、最初から「コレなんじゃない?」というものが見つかるのは稀なケースだと思います。中身は結局のところ、与えられるだけのものかもしれない。けれど何よりも興味を強みに変える探究心があれば、その積み上げを振り返ることこそがきっと、「働くこと」を問われたときの自分なりの答えになるのではないか、そう思います。

Saturday, March 29, 2014

働くことの意味 - 1st decade -

〜三度目の桜を見上げるあなたに送ります〜

1990年4月、大阪ビジネスパークの一角にあるビルの正面玄関で記念撮影をしてから、あと数日でまる24年が経とうとしています。
あなたの人生とほぼ同じ年月ずっと、働いてきた(はずの)私にとって「働く」とは何かを改めて考える機会を貰えたことは、とてもとても貴重なことです。

◼︎「若造」で済まされた3年目まで
最初の会社での配属先のメンバーは(多分40代手前の)課長、10年先輩のチームリーダー、5年先輩のトレーナー。パートナー会社籍の同期とその先輩(2期ほど上で同い年)という陣容でした。あなたの場合と比較して、とても若い組織ですよね。
「仕事は楽しく」が班のモットーでした。実際、楽しいことばかりだったように思います。一番嫌(というか、大変)だったのは、新人論文集の執筆でした。多分、今の「意識高い系」さんたち(それなりに知性が感じられる点が私と大きく異なるが)の数倍も生意気で、よくぞチームリーダーやトレーナーの逆鱗に触れなかったものだと思います。きっと、「仕事」に対して期待されているレベルではなかったんだろう、少なくとも最重要ポイントではなかったのだ、と思います。

◼︎酒とパソコンの日々
4年目頃から結婚するまでの4年間は、パッケージの開発メンバーでした。それまでいた部署が縮小することになって、チームは解散、チームリーダーは転職、元トレーナーは東京へ出向。当時私はトレーナーをしていましたが、他部署への異動のためトレーニーを引継ぎました。それまで楽しくやってきた世界がガラガラと崩れ落ちました。何もなくなって、またイチからのスタート。時代はワークステーションからPCへ。MS-DOSからWindowsへの過渡期でもありました。
出社は10時ギリギリ。間に合わない日には有給休暇扱いで仕事。設計やプログラミング、テストの毎日。朝が遅く始まってるのでどんなに早く上がったとしても21時頃まで。そこから京橋や北新地へ繰り出しました。それもほぼ連日。
開発チームは課長以下10名ほどだったと思いますが、みんなよく飲んだ。飲むために仕事していたといっても過言じゃない。(不義理ですが)投資回収がどうとか原価率がどうとか気にしない、それよりもとにかくパッケージソフトを売る。そのために作る。その目標に向かって真っしぐらでした。その目標を同じく目指している仲間といられることが何よりでした。

◼︎結婚・アカウントSE
1997年春に結婚、それから2年ほどですがお客様を担当することになりました。これまでは(いわゆる)内勤。アカウントSEではなかったため、お客様を受け持っていなかったのです。人事業務と経理業務、PCサーバーのセットアップ。異なるお客様に対してそれぞれ求められるノウハウでサービス。全てがうまくいったわけではありませんが、実力が一番着いた頃ではなかったかと思います。経理業務でご支援させていただいたお客様はベビー服メーカーさん。長男の出生祝いに靴下をいただいたのがとても嬉しくて。家内にこのとき「よかったね、感謝してもらえてるんだね」と言われたことが誇らしかったです。
実は、新人配属志望面接のとき、自ら新人研修の主管部署を希望しました。研修の企画やその講師を務めることに憧れての結果が配属希望だったのです。もしチームの解散がなかったら。開発オンリーのままだったら…お金をいただいて成長させてもらえる、このありがたさを知らないままだったら、きっと今の私はなかったように思います。

◼︎プレッシャーを避けるように新たな道筋
1999年からはまた社内で開発一辺倒。この頃になると立場的にもプロジェクトへの関わり方として原価率や生産性を強く意識させられました。
不安定なツールを用い「できるだろう」で始まった開発、担当役員兼専任部長への進捗報告のたびに気が重くなりました。今思えば状況見通しが分からず不安だったのでしょう。それなのに上手く報告できず、泣くしかできなかったことが幾度もありました。この頃、「今よりマシなところを捜そう」と何社か面接したりしました。でも、今の仕事とそれほど違わないのにわざわざ転職するのもどうかと思い、辞めるには至りませんでした。そんなある日、転機が訪れました。

Wednesday, February 06, 2013

More Communication!!

「毎月一編は書く」と決めました。先月(1月)をふり返り、記してみます。
年明け早々、仕事面で大きな変化がありました。
同じ部署の違うチームが担務するプロジェクトへ参画することになりました。このプロジェクト、実は今の私のあり様に大きな影響を与えた出来事と深く関連しています。
現在も国内で高い評価を得ている広報宣伝手段を名実ともにグローバルに運用するために結成されたこのプロジェクト、多数のメンバー(まだまだ全容を認知しきれていない:汗)での協業による遂行に緊張しつつも楽しみながら関わり始めたところです。
それと並行して、グループ社内で実践中のITコミニュケーション環境をお客様が利用、結果として働き方を変えることに役立ててもらうというビジネスにも継続して携わっています。こちらはこちらで、前職で孤軍奮闘した経験が何かの役に立つのでは…と思い至り、少しずつですが立ち回る方法を変えようと目論んでいます。
どちらのプロジェクトでも都度痛感するのは、コミュニケーションは仕事の進捗に大きく作用するということです。たくさんの人に伝える場合、一人の人に伝える場合。リマインドするのかアクションを求めるのか。悪くいうと「自分の都合を相手に押しつける」みたいな話になるのでしょう。でも、所詮コミュニケーションの原点は「自分中心」です。「伝えるものを持っているのは自分」なのですから。

Wednesday, June 24, 2009

素敵な人 その2

「理想の最期は、とある国に井戸を掘り、その井戸の水を美味しそうに子供たちが飲んでいるのを見ながら息絶えること」と語る人。
真顔で公然と語られてしまうと、もうヘタにコメントさせてもらうような状況ではありません。
ただ頷くばかりです。

こんな人を上司にできるかもしれないウチの会社、まだまだ捨てたモンじゃありませんhappy02

Tuesday, January 20, 2009

年下の上司と仕事をする

正直なところ、年上の部下と仕事することはあれど、
年下の上司と仕事することは(自分に限っては)ないだろうと思っていました。
もちろん確たる理由があったのではなく、漠然としたものだったのですが。

普通に大学を卒業して、普通に就職して、普通に仕事をする。特別覚えめでたき功績があるわけではないけれど、その反面不出来なわけでもない。
だから、順当に昇給して、昇格していくのだろうと思い込んでいました。
もちろん今も(自分の意思で大阪を飛び出したにせよ)、その流れに乗っていると信じています。
でも、そうではないのかもしれません。

相対的にか絶対的にかは判りませんが、「そんなに出来ていない」自分がここにいます。
もといたレールから異なるレールに移っても、いや移れたことの理由こそが、「わりと出来ている」自分だったと思っていたのに、です。
「おかしいな」と感じても、「キャッチアップしなくちゃ」と焦っても、ここで頑張ろうと決意を固めつつあったころ、吸い込むことでピンとできていた、そんな空気の所在を感じられなくなっています。

もちろん上司のことは、立派な仕事人だと認めています。指示されることに違和感を感じたり、納得がいかないことはありません。
けれど、「俺のほうがもっと上手くできる」とか「まだまだ青いナ」とか、口には出さなくとも、そういうプライドは(自分自身の成長のために)必要なものだと判ってはいるのですが、それが頑張りにつながらない。
人は一度そう感じてしまうと最後、逆転を受け入れることで変わってしまうのでしょうか。

Tuesday, April 01, 2008

新生、三年目。

ここにいることの意味を問うためにも
ここに暮らし、ここで世の役に立ち、決して利口とは呼べない時代を生きる
そう念じて佇むことにしてから 二年が過ぎました。

自分の可能性はさして高くないかもしれないということに気づき、
それゆえに誰かにその可能性を委ねなくてはならないことを悟り、
委ねることの大切さやありがたさを感じるようになれたこと それは
全てをリセットする覚悟で赴いたからこそ得られた今の成果。

思うほどこの世は自分の思い描く通りにはならず
考えるよりはるかに人は様々な考えを無軌道に忍ばせ
この雑踏を構成する それすらも誰かから課せられた使命のように。

それほどドラマチックではないけれど
そんな筋書きの見えない戯曲は それでも素敵に毎週ショウタイムを迎える
今日も明日も 名もなきエキストラのままで構いません。
通勤鞄を持ち、出番を待っています。

Saturday, December 29, 2007

仕事納め

2007年の「仕事人」としての最終日。今年は社内行事にきちんと参加できました。
大田区のブランチから港区にある本社まで移動…
(来月の下旬には、本社に引越しするので通勤時間が増えます)
限られた時間内では多くの人とは会話できませんでしたが、楽しい話もできました。

帰りは、この秋から一緒に仕事をするようになった新人と話ながら最寄り駅まで。
志や知識欲の高さに少し気後れしかけてしまいますが、いやいや自分自身もまだまだ頑張らなくてはとハッパをかけられているのだと思い直しています。

ここにいることの意味を、少しだけ長めの休み期間で、しっかり再認識しておきたいと思います。コース2周目も残すところ4分の1…

Saturday, September 29, 2007

ひとつの区切り

今日(正確には昨日)、去年の春から続いていたプロジェクトから離脱しました。
同時に20数名のメンバーも解散。再会を期して別れました。
思い起こせば、去年の春。
培ってきたノウハウが充分に活かせるか、それだけが不安でした。
学び続けることをどこまで実現できるか、それだけが心配でした。

どこまで実現してきたでしょうか。
どれだけ実現してきたでしょうか。

それを少し確かめてみたいと思います。ひとつの区切り。

Sunday, September 23, 2007

子供の勉強と自分の仕事

上の息子が、母親と一緒になって通信添削の教材に取り組んでいます。
下の息子(5歳)だけ遊ばせていると、どうも上の息子が落ち着いて集中できない様子(これはこれで、当人の問題として今後も課題にはなるのですが…)。

そこで、「ひらがなの書き取りドリル」に取り掛からせることにしました。
しかし、相手は5歳児。「書き取りしときなさい」だけで自発的にやるはずはありません。
どうしても「動機付け」が必要になります。
最初は、「昨日一緒に出掛けた本屋さんで売ってた四色ボールペン、買ってほしいって言ってただろう?このドリル、頑張って、できたら買ってあげるよ」「終わったらパソコンでWebゲームしていいよ」などと励ますことで、渋々ながら練習していました。しかし、そのうち飽きてきて(疲れもあるのでしょうか)、書き上げるのが辛くなってきたみたいです。

そこで、「よし、よくできた。あと残りは10枚。でも、これを明日まとめてやっちゃおうとすると、またしんどくなるな~」と言うと不安げな顔。そこですかさず「今日まだ頑張ったら、あと1枚くらいはできるよね」と言うと、ブーたれつつも始めました。
あと1枚、あともう1枚…その結果、残したのは7枚に減りました。本人も残り10枚で限界だと思っていたので、追い込みできたことがまんざらでもなさそう。

そんなやりとりをしながら、自分のことと重ね合わせて考えていました。

目的は何か、
そのためにどうするのか、
どうするのかをより詳しく細かく作業にまで分解する、
それが実現できているかを確認する、
その結果が目的に適っているかを検証する…

作業の流れは、たったこれだけ。最近、このサイクルでもってうまく立ち回れず、少しヘコミかけていました。
でも、この流れを実践するために、単純に「インプット」と「アウトプット」さえ準備すればいいのではありません。

大きな動機(夢や理想だったりすることもあるでしょう)を一つひとつ、小さな目標に分割していくことで、その達成感を味わいながら(時には相互で、または複数で分かち合うことも重要)、次なる目標に立ち向かい、乗り越えていく…

そんなふうに頑張ることが大切なのだな、改めてそう感じました。

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